INTERVIEWS
October 12, 2020

【Home Again】vol.2 :Kankeischa 菅家明彦さん「点と点を繋げるカンケイシャの仕事」後編

家具と雑貨のお店BULLPEN(以下:ブルペン)の松島大介さんが、「自分らしい住まい方」「自分らしい生き方」を営む人々を訪ねていく、連載インタビュー。

第二回は、本プロジェクト名『tefu』の名付け親の一人でもある、Kankeischa 菅家明彦さんです。
前編では、菅家さんの生い立ちやこれまでの活動をお伺いしました。物事ひとつひとつの本質を見つめ、みんな違って当たり前であり、それが魅力であるという、一貫した考えを持つ菅家さん。後編では、tefuプロジェクトとの関わり、ネーミングやコンセプトメイキングの経緯を伺いしつつ、そのお仕事の実態を探っていきます。

松島 - 菅家さんは、個々の持つ魅力だったり、そのストーリーを面白いと思っていらっしゃるんでしょうか。

菅家 - 縁だと思うんですよ、全部。
ここで出会って、ただ興味が湧くあるから話す、楽しいから話す、話が合えばまた会う、合わなければタイミングずらしてまたの機会に会う。そういうことの積み重ねです。
自分がやりたいと思うことを素直にやりたい、ただそれだけですね。





松島 - 今回のこの「tefu」というプロジェクトのネーミングやコンセプトやデザイン周りなどは、菅家さんが関わっていらっしゃると思いますが、僕、しばらく知らなかったんですよね(笑)

菅家 - 僕も松島さんが関わってるって、知らなかったんですよね(笑)

松島 - ご縁は何だったのでしょうか? 

菅家 - tefuの企画を立ち上げられたUDS株式会社(以下、UDS)の金塚さんは、昔デザイナーとしても活動されていて、その時のご縁ですね。フライターグの仕事をしていた時に、東京ドームのテント素材で、縫製もしないで素材を折り込んだだけで機能的なプロダクトを作る男の子たちがいるということで紹介してもらったうちの一人が、金塚さんでした。

色々話しをしてみると、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH エー・テー・ハー)にも一時期建築を学びに留学されていたこともあり、縁があればフライターグに紹介できるかも、と思っていました。

実は、2003年のフライターグの創業10周年のタイミングが、ちょうどUDSさん(当時:都市デザインシステム)のプロデュースされたホテル・CLASKAのオープンと重なり、そのオープン記念として行われていた試泊期間に、フライターグ兄弟が泊まらせて頂いたというご縁もありましたっけ。


左:SWISS DESIGN MADE IN JAPANイベント右:2016年秋SWISS DESIGN KIOSK初回インストール



菅家 - その後、金塚さんとは頻繁にというわけではないですが、彼の関わるプロジェクトの案内を頂いたりした際に連絡を取ったりしていたのですが、2年くらい前にtefuのプロジェクトを計画しているタイミングでご連絡をいただき、また色々とアップデート含め、お話しさせていただきました。スイスのご縁で製作に至った com.temporary furniture(コンドットテンポラリーファニチャー)のこと、加えて内外のご縁ある方達とのブランドビルディングのディレクションやコンセプトメイキングやセールスサポート、そのほか、スイス大使館とともに取り組んでいるスイスデザイン関連のイベントプロデュース(SWISS DESIGN KIOSK)等、現況と自分の仕事のやり方についてを共有しました。その際に、tefu プロジェクトにもこれから関わってくる徳武さんの考える食の未来についても話がでたように思います。

結果、山形の米富繊維や今治のみやざきタオル等で良きパートナーとして一緒に仕事をしてきた akaoni 小板橋さんにも入ってもらい、プロジェクトのコンセプトメイキングやネーミングを一緒に検討させていただきました。


SWISS DESIGN KIOSK

akaoniがオフィスを構える山形のとんがりビルでの巡回展示、中央のワークデスクはctf



松島 - 具体的にはどういったところで関わられたのでしょうか。

菅家 - 僕の関わり方としましては、見えないところの繋がり――どんな存在の誰がどこにいて、どんなことをそれぞれ考えていて、、それらがどう関係し、結びつくことができるか――に対して、自分にできること、自分が生きてくる部分があると思うので、その前提で、金塚さんに色々ビジョンを伺った上で、コンセプトを積み重ねていきながら、どんな人と繋がって、どう進めていけばいいか、結果、どんな世界ができたら、、ということをお話しさせていただきました。

松島 - 菅家さん独自のコンセプトメイクやブランディングのやり方ってあるのでしょうか。

菅家 - 教育にもブランディングにも「これが正解」という答えはないと思っています。何よりも今、自分は何を考え、誰と出会い、どこにいるのかを整理します。すべての出会いは、タイミングです。そのタイミングにおいて、自身の心のありようや持ちよう、今どんなことにワクワクしているのか、ということに注視します。今回お話を頂いたテーマが、自分の関心事とかなり近いところがあったので、自分が大事に思っていることを沢山アウトプットさせていただきました。




松島 - 菅家さんのどんな興味が、「分かち合う」というコンセプトに近しかったのでしょうか?

菅家 - ここ数年、“発酵”や“菌”に興味関心があります。これらについて学んでいることが、実は、tefuプロジェクトの思想に近かったんですね。2012年に娘が生まれて、前年に地震や原発事故もあったりして、少しずつ食や健康に対する意識が変わってきました。42歳で子供に恵まれるまでは、身体のことは何も気にしないで好きなように食べてました。夜中に大盛りのラーメン食べて、汁まで飲んだりするような事も平気でしましたし。(笑)

また、自分が生まれるとっくの昔に亡くなっていた医学博士の祖父が、医学や健康についての本をたくさん遺してくれていたことも影響しています。アミノン酵母というものを医学的に証明して、京都にある酵素の研究所がつくる商品に尽力したことを聞いて育ちました。僕はその酵母原液を小さい頃から飲んでいたので慣れ親しんでいたのですが、2000年以降、「酵素」そのものが世間で注目されて初めて、酵素を摂取することがまだ一般的ではなかったことを知りました。

そんな祖父の存在があったのに、自分は酵素のことを全然知らなかったんだな、ということに気づいて、、、発酵食品や余計な物が入ってない自然そのままのワインだって大好きなのにそれらがどうやってできているのか?ということすら知ろうともしなかったし。あらためて2020年は菌や発酵を知る発酵元年と位置づけようということで、1月に小豆島で開催された「木桶による発酵サミット」に参加してきました。身近な食のことを子どもに説明できるようになりたい、という素直な気持ちが出てきたのも大きいですね。子どもと一緒に学べる機会が持てているので、ありがたいですね。


小豆島・ヤマロク醤油の木桶



菅家 - 昨年2月には南部生協の案内で印鑰智哉さんの種子法学習会にも参加しました。そこで「菌根菌」を知りました。植物たちは、土の中の根っこの部分で独自のインフラを持っていて、見えないところで信号を出して、互いに必要な情報を送りあっているそうです。一見違うところで起きている事が、別の離れたところ、見えないところの何かに影響を与えている、つまりすべてが繋がっているという関係性があると思っています。ある植物の近くに、こんな植物を植えると双方にいい影響が出て育ちやすくなるといった「共栄作物 / コンパニオンプランツ」についても勉強になりました。異なるもの同士が互いに影響を与えたり、補い合いながら共に育っていくというようなことが、自然界には普通にあるんだってことも。最近、週末に援農でお世話になっている近所の大平農園や、月1の農業塾のために出かけている埼玉県小川町の霜里農場の畑を見ていても、そんなことを感じます。

1968から無農薬、無化学肥料で野菜作りをしている等々力の大平農園での週末援農



菅家 - こういった自分の中の気づきは、tefuのコンセプトにもマッチしているのではないかと思いました。人間もきっと同じで、みんなそれぞれ違う活動を個々でしているようで、実はひとつの輪っかの中で、互いの活躍に刺激を受けたり、影響されたりして、見えないところで繋がっているのだと思います。tefuのコンセプトである「分かち合う」というのは、そういう見えない繋がりで、みんなそれぞれが部分的にでも依存したり、影響し合っているということなんじゃないかなと思っています。

松島 - 「tefu」というネーミングはどうやって思いついたのでしょうか?

菅家 - 「tefu」というワード自体を思いついたのは、akaoni 小板橋さんです。自分の役割は、そのワードにたどりつくまでの見えない部分と時間を繋ぐことだと思っています。UDS金塚さんから頂いた「分かち合う」というコンセプトに対して、一体どんなネーミングが良いのかということを小板橋さんと一緒に、何案も何案も出しました。今では、ネットで調べれば、カッコいいなと思う言葉はもうほとんどネーミングとして使われてしまっていて、特に英語を使った分かりやすいものは、ほとんど出尽くしてしまっている感じですね。なので、なかなか良い言葉を見つけるのには、英語以外の言語も含めて、何十案と検討するほど時間がかかりました。




菅家 - 最終的に、小板橋さんから「tefu」はどうですか?という案をもらったときに、てふてふ=蝶々というところから、バタフライ効果、つまり「目の前のほんの些細な蝶の羽ばたきが、はるか彼方での気象に大きな影響を与える」という例えが、先ほどお話しした見えない繋がりの中で与える影響というような「分かち合う」というコンセプトにも合っているし、その例えを使う人もいるので、いいね、ということになりました。さらに「てふ」という音感も良く、日本らしく日本語由来の名前が良いのではということで、金塚さんにお伝えしました。

松島 - 確かに、初めて聞いたときに、「てふ」って心地よい音だなと思っていました。

菅家 - たとえ関係ないと思っていることでも、身近な他の誰かが、想っていたり、考えていたり、行動していたり、といったことが、結果、自分にも影響を与えていたんだなと思うことって結構あるんですよね。




松島 - 菅家さんのお仕事って、伝達役のようなことなのでしょうか?

菅家 - どうなんでしょうかね。僕は、ものごとの関係性に興味を持っているんですね。“Kankeischa / カンケイシャ”と言う屋号で仕事もさせて頂いておりますが、「ご縁」のあった人や繋がりを大切に思って、その方たちの顔が見えて、生かされるような活動のサポートをさせて頂いているだけなんです。

コミュニティの中においても、こういう場所で、こんな人がいたら、どんなことが起きるのか?
フライターグも、表面に出てくるブランドビルディング自体も面白かったのですが、アート、デザイン、建築といったそれぞれの分野のムーブメントにおいての表面化されていない様々な繋がりによって、このブランドが生まれ、育っていくのを何十年も目の当たりにしてきたので、そういった意味でのホリスティックな関係性が面白いと思っていました。どんなことでも周囲の様々なものが影響しあっているのだと思っています。

自分には、有難いことにご縁あって出会う方たちがたくさんいます。それぞれにやりたいことがあって、気持ちよく自分の活動を続けられている方たちが多いように思います。そんな方たちに出会って、パワーを頂きながら、自分自身の好きなことにも没頭し、結果、周囲の方たちにもいい影響が与えられるようなことになればいいなと思っています。


フライターグのプロモーションでモデルをつとめた菅家さん



一見関係のないようなことに見えても、ひとつひとつの出会い、ご縁を大切にし、それら個々の違いや魅力を繋いでいくことで、唯一無二のプロダクトをつくったり、新たな価値を生み出していく。
菅家さんのお仕事や、ご自身の生き方は、まさに「点と点を繋げる」活動家でした。






菅家 明彦 / Akihiko Kanke
1970年生まれ。2014年までおおよそ18年間に渡り、関わったスイスのバッグブランド FREITAG(フライターク)のストーリーテリングを含む国内ブランディングとセールスをきっかけに、土地や人、それそれが「違って当然」なことに魅了される。2010年から継続するスイス人デザイナー コリン・シェリーの「それぞれの販売国の木材と工房で製作」する con.temporary furniture(コンドットテンポラリーファニチャー)のプロデュースをはじめ、山形山辺の米富繊維、愛媛今治のみやざきタオル、埼玉鳩山のサザン・フィールド・インダストリーズなど、関わるブランドのディレクション、他 マーケットサポートは多岐にわたる。


Interview : Daisuke Matsushima
Edit : Chisato Sasada
Photo : Junpei Ishikawa


tefuは、ヴィンテージ家具のシェアリング事業や空間運営事業を通じて、「さまざまな価値を分かち合いながら、自分らしく住まえること」のサポートを行う新プロジェクトです。
本連載は、tefuのアドバイザーであり、家具と雑貨のお店BULLPENの共同代表である、松島大介さんがインタビュアーとなり、「自分らしい住まい方」「自分らしい生き方」を実践する人々を訪ねていく、BULLPEN×tefuのコラボレーション企画です。
「良いものを長く使い続けること、その価値を分かち合うこと」について考え、これからの豊かな暮らしのヒントをお届けします。