INTERVIEWS
July 3, 2021

【Home Again】vol.6:akaoni 小板橋基希さん「多様さを面白がるデザイナー」後編


家具と雑貨のお店BULLPEN(以下:ブルペン)の松島大介さんが、「自分らしい住まい方」「自分らしい生き方」を営む人々を訪ねていく、連載インタビュー。

第6回は、『tefu』のもう一人の名付け親であり、ロゴのデザイナーであるデザイン事務所 akaoni の小板橋基希さんを訪ねました。
後編では、そもそもなぜ小板橋さんは「デザイン」をお仕事にされているのか、「デザイン」というお仕事を通してどんなことをやりたいと考えているのか、そんなお話しをしていただきました。




松島 ー もともと小板橋さんはデザインではなく、建築のバックグラウンドだったんですよね。そこからなぜデザインの業界に転身されたのか、きっかけなど教えていただけますか。

小板橋 ー うちの親が測量会社をやっていたので、クリエイティブなことをやりたいと考えた時に建築だったら繋がるなと思い、大学は建築学科で入学したのですが、途中で映画を撮りたくて映像学科に転科しました。特に建築が嫌になったから転科した訳じゃなくて、当時はコルビジュエなどの直線的な正当派モダニズム建築にあまり興味がなく、フランク・O・ゲーリーとか、レンゾ・ピアノとか、ガウディとか、アーキグラムなどの少し奇抜な建築が好きだったんですよ。


Image-Disney Concert Hall by Carol Highsmith edit-2.jpg

フランク・O・ゲーリーの作品

出典:Wikipedia


小板橋 ー ある時、大学で小学校の設計課題がでて、ちょっと面白い形にしようと設計したら雲形定規だらけになり、めちゃくちゃめんどくさい図面を描かなければならなくなり、それで挫折しました。もっと早くモダン建築のカッコ良さに気づいていれば、そのまま建築の道に進んでいたのかもしれないですね(笑)映像学科は、映画が好きだったので転科したのですが、卒制で映画を一本撮ったら満足してしまいました。結局、小さい頃からデザインのようなものに興味があり、そういう仕事につきたいなという気持ちがあったので、今に至ります。
 
松島 ー デザインって大きく括られてますが、2Dや3Dなど色々ありますし、建築のデザインも、映像のデザインも、全然違いますが、今やってることは、どの部分に楽しみというか、ワクワクする瞬間を感じていますか。

小板橋 ー 物事をちょっと違う視点から見たとき、いままでとは違うカタチが表れるのを、デザインを通してみんなで共有できることが面白いと思っています。




松島 ー それに気づいたきっかけがあったんでしょうか?
 
小板橋 ー 僕の実家の群馬県中之条町の隣に長野原という町があり、八ッ場(やんば)ダムという大きなダムが最近完成しました。そこにはダムが出来る前は吾妻渓谷という素晴らしい景色をもった自然や、川原湯温泉という素敵な温泉街があったのですが、全部そのダムの底に沈んでしまったんですね。僕の小さい頃、中之条町から草津温泉に行くルートにその八ッ場ダムの建設計画地があって、その途中にダムの資料館がありました。親に連れられて入ったその資料館には、住民たちが凄い形相でプラカードを持って建設反対闘争をしている当時の写真が飾られていました。まさか自分の生まれた町のすぐ横で、大人たちがこんなに必死になって反対運動をしていて、それでも建築計画が進み、住人たちが引っ越さなければならなくなったという話を知った時に、誰が望んでこんなものができたんだ、と、違和感があったんですよね。。。八ッ場ダムは「首都圏の水瓶」として行政が計画したのですが、水害対策、水源の確保、便利な道路の開通など便利なことを択ぶ代償に、様々な素晴らしいものを失ってしまう。社会的に良しとしていることも、別の視点で見ると色々な事が見えてくる。小さいながらにそんなことを感じました。




小板橋 ー 小さい頃から図工が得意な方だったということもあるかもしれません。小学生のころ、虫歯のポスターを作る授業で虫歯菌をキャラクターにしてみたり、中学校の運動会でクラス別にスローガンと横断幕を作る際に勝手に「3年6組 ところてん」という、今考えてもよくわからない言葉で旗を作ったりしてました。他のクラスが「完全燃焼」や「疾風怒濤」などのスローガンで熱く盛り上がっているのを横目に、少しひねくれていたんだと思います(笑)虫歯のポスターは翌年にクラスメイトが僕の案を真似したり、運動会の横断幕もクラスみんなが楽しんで協力してくれたりと、少し違った視点をみんなと共有できたことが面白くて、そんなことをやりたくてデザイナーになったのだと思います。

松島 ー 同級生が自分と同じ意見を次の年にサンプリングというか引用してくれたことについて、嫌な気持ちにはならなかったんですか。

小板橋 ー 真似されるのは別に嫌じゃ無かったですね。

松島 ー 今でも、ですか?

小板橋 ー そんな真似されることもないけど、真似されてもいいかな、みたいな感じはあります。考えた事を同じ視点で共有してくれた、理解してくれた、ということが嬉しい気持ちの方が強いかもしれないです。ただ、売上げに影響がでたりしたら嫌ですね(笑)




松島 ー 小板橋さんの仕事ぶりは、僕は第三者としてずっと個人的に好きで色々見させていただいていますが、今後どういう仕事や、こういうことをやってみたい、ということはありますか。アカオニとしてや、個人としてやってみたいことはありますか。
 
小板橋 ー アカオニは、良くも悪くも仕事が忙しかったので、「後でやろう」と思っていたことが山積みになっていて、コロナで少し立ち止まり、後ろを振り返ってみたらものすごく散らかっていました(笑)今までの仕事をしっかりまとめるとか、中途半端なプロダクトの開発を実際に商品化まで進めるとか、自分たちで作って売るということをもっとしたいです。いままでやってきたクライアントワークと同じように、自分たちのことも楽しみながら少しづつやっていきたいです。
 
松島 ー 自分たちのアイデンティティというか、自分たちの生み出したいものをつくりたいと。
 
小板橋 ー  何年も前に絵付けしたこけしがそのままになっていて。こけしを削ってくれる職人さんの連絡先も知ってるし、車で数分の距離にある工房にお邪魔して、少し話して発注すれば進むのに、なぜかやってなかったり。2〜3年前に作ったお面も同じような感じで、ほっとらかしになってます。



 
松島 ー 後ちょっとのところでストップしてるんですね(笑)ぜひ、具現化したら、パドラーズのギャラリーで。
 
小板橋 ー 近くにせっかくこけし職人さんがいるのでね、そういうのができたらいいなと。で、そういうのはプロダクトを作りたいという気持ちよりも、整理整頓したいという気持ちも半分くらい入っていて。あまりにもとっちらかりすぎなので。パドラーズは、とてもしっかりしていて、きれいですよね。やろうと思ったことは、しっかり実行していて。
 
松島 ー コロナのおかげっていったらよくないですけど、僕たちも一回足をとめて、一旦考えることをできたのは、良かったことですね。
 
小板橋 ー アカオニのクライアントがしっかりモノ作りをしているのを見て、羨ましくなってきたというのもあります。今回のコロナの流行を受けて、何か新しいことをやるよりは、今までやってきたこと、自分たちが持っているモノやコトをしっかり伝えようという流れになっていて、それがまた次のステップに進む良い発射台になると思うので、アカオニもそういうことをして行きたいですね。




デザイナーという仕事をやる理由、そのはっきりとした原体験をお話ししてくださった小板橋さん。
自分の気持ちや経験に素直に従って選んできた道のりを経て、表現されるデザイン。
人と違った視点で世の中を見つめる小板橋さんだから表現できるデザイン。

そんな名付け親から生まれたtefuも、今の当たり前を見つめ直し、違った切り口から住まい方や生き方を提案していきたいと思っています。


Interview : Daisuke Matsushima
Edit : Chisato Sasada
Photo : Nao Manabe


tefuは、ヴィンテージ家具のシェアリング事業や空間運営事業を通じて、「さまざまな価値を分かち合いながら、自分らしく住まえること」のサポートを行う新プロジェクトです。
本連載は、tefuのアドバイザーであり、家具と雑貨のお店BULLPENの共同代表である、松島大介さんがインタビュアーとなり、「自分らしい住まい方」「自分らしい生き方」を実践する人々を訪ねていく、BULLPEN×tefuのコラボレーション企画です。
「良いものを長く使い続けること、その価値を分かち合うこと」について考え、これからの豊かな暮らしのヒントをお届けします。